弥生時代、中国から日本に贈られた2つの金印
これまでに日本で確認されている最古の金製品は、福岡県の志賀島(しかのしま)で発見された金印・漢委奴國王印(かんのわのなのこくおういん、国宝、福岡市美術館蔵)です。金印は1辺が2.3センチメートルで、重さは108グラム。上部に蛇の形のつまみが付いているのが特徴です。
印面には、この金印が漢の皇帝から委奴國(わのなのくに)の王に贈られたものであることを示す「漢委奴國王」の5文字が刻まれています。実際、中国の「後漢書」という歴史書の中に「紀元57年に漢の光武帝が倭奴國の王に印綬(印と紐)を贈った」との記述があり、この印が志賀島で発見された金印だと考えられています。
弥生時代に日本に贈られたとされる金印が志賀島で見つかったのは、江戸時代の1784年。農作業中の島民が偶然発見したという説が有力ですが、いつ金印が島に伝わったのか、発見されるまでの間に、どのような経緯をたどったのかは、今もわかっていません。
ちなみに、同じく中国の歴史書「魏志倭人伝」には志賀島の金印のほかにもう1つ、別の金印が日本に贈られたと書かれています。紀元239年、魏の国の王が邪馬台国の女王・卑弥呼に、貢物の返礼として「親魏倭王(しんぎわおう)」の金印を授けたというのです。残念ながら、この金印が今、どこにあるのかはわかっていません。もし発見されたら、その場所が邪馬台国の有力な候補地になりそうですね。
※出典 福岡市博物館 What is the Kinin?
http://museum.city.fukuoka.jp/gold/
日本で初めて金が発見されたのは?
古墳時代になると仏教の伝来とともに、寺院の建築や仏像の建立などに金が使われるようになりました。ただし、当時の日本では、まだ金が発見されておらず、百済や高句麗(朝鮮半島)からの輸入に頼っていました。
日本で初めて金がみつかったのは、奈良時代の749年のこと。場所は陸奥国小田郡(現在の宮城県遠田郡)で、純度の高い上質な砂金だったと伝えられています。発見後すぐに採掘が進められ、752年に完成した奈良・東大寺の大仏は、ここで採れた金で全身にめっきが施されていたそうです。当時の人々は、高さが15メートルもある巨大な大仏が金色に光り輝く姿を見て、さぞかし驚いたことでしょう。
同じ奈良時代の760年には、日本で最初の金貨幣「開基勝宝(かいきしょうほう)」が作られました。続日本紀によると、同時に銅銭と銀銭も鋳造され、銅銭10枚を銀銭1枚に、銀銭10枚を開基勝宝1枚に当てたとされています。なお、開基勝宝はこれまでに32枚しかみつかっておらず、いずれも国の重要文化財に指定されています。
※出典 東京国立博物館 名品ギャラリー
https://www.tnm.jp/modules/r_collection/index.php?controller=dtl&colid=E19576
その後、国内でも金が次々に採掘され、建築物や工芸品などに使われるようになりました。よく知られているものには、岩手県平泉町の「中尊寺金色堂」(1124年建立)や、京都市の「金閣寺」(1397年建立)などがあります。かのマルコポーロが「東方見聞録」で日本を「黄金の国」と紹介したのは、中尊寺金色堂のことを伝え聞いたからだとも言われています。