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古代文明と金

人類と金の出会いは古く、少なくとも紀元前4000~4500年頃には宝飾品に使われていたと言われています。時を経ても輝きを失わない金の美しさと神秘性は古代の人々を魅了し、権力や富、信仰の象徴として重んじられてきました。今回は古代文明が遺したさまざまな金製品の一部をご紹介します。

古代エジプトの王・
ファラオの墓に金製品が
葬られた理由は?

古代文明の中でも特に金を多用したことで知られるのが、紀元前3000年頃から約3000年間にわたって栄えた古代エジプト文明です。太陽を神と崇(あが)めていた古代エジプトのファラオ(王)たちは太陽のように光り輝く金製品を所有し、身に付けることで、自身の富と権力をアピールしました。

当時のエジプトでは「人は死後、神々の住む世界で生き返る」と信じられていたため、ファラオたちは死後も生前と同じ豊かな生活ができるように願って、自らの墓に身の回りの品々や神への貢ぎ物とともに大量の金製品を入れることを望んだのだと考えられています。

ツタンカーメン王の
マスクに使われた
金の量は?

1922年、ルクソールにある古代エジプトの葬祭地「王家の谷」で、イギリスの考古学者ハワード・カーターによって発見されたツタンカーメン王の墓からも、たくさんの金製品がみつかりました。

ツタンカーメン(紀元前1341年頃~紀元前1323年頃)は古代エジプトの第18王朝・第12代目のファラオで、父の死後、わずか9歳で即位しましたが、18歳くらいで亡くなったと伝えられています。ツタンカーメンの墓は、ほぼ埋葬当時の状態のままで残されており、墓の中からは金製品を含む約2000点もの埋葬品が発見されました。

埋葬品のうち最もよく知られているのが、ミイラに直接かぶせられていた「黄金のマスク」でしょう。高さ54cm、肩幅39.3cm、総重量が11kgもある黄金のマスクは、厚さ2.5cm~3cmのほぼ純金の延べ板を数枚つなぎ合わせて作られたもので、石英やラピスラズリなどで美しく彩色されています。顔や胸の皮膚の部分には、他の部分よりもやや青みを帯びた白っぽい金が使われており、ツタンカーメン王のみずみずしい若さと美しさを表現しているのではないか、とも言われています。

黄金のマスクをつけたミイラが納められていた人型の棺も、非常に豪華なものでした。棺は3重になっていて、最も内側の棺(長さ約190cm)には、ほぼ純金に近い金がなんと110㎏も使われています。外側の2つの棺と棺が入っていた4つの厨子(ずし)は木製ですが、全て表面に金箔が施されています。さらにミイラの首~腹にかけては、すべてデザインの異なる彫金の胸飾りが35個も、布に包まれて納められていたそうです。ツタンカーメン王は、こんなにもまばゆい黄金色の光に包まれて、およそ3200年もの間、眠り続けていたのですね。

若き王の面影を宿す黄金のマスクは、現在カイロの考古学博物館で一般公開されていますが、2023年後半、ギザのピラミッド近くにオープン予定の「大エジプト博物館(Grand Egyptian Museum)」に移されることになっているそうです。

イヤリングから
ハープまで。「金」を愛した
シュメール人

エジプト以外の古代文明においても金は重んじられ、主に権力階級の人たちによってさまざまな用途に使われてきました。たとえば世界最古の文明とされる「メソポタミア文明」を築いたシュメール人の古代都市ウル(現在のイラク)で発掘された、紀元前2600年頃の王墓(通称:ウルの王墓)からは、金で作られたイヤリングや頭飾りのほか、楽器(ハープ)までみつかっています。

数千年の時を経て、私たちが古代の人たちと金のかかわりを知ることができるのは、金が当時のままの姿で残っているから。古代の人たちの愛した美しい金の輝きは、今もなお私たちをひきつけてやみません。

【参考文献】

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